この国には富裕層と貧困層しかないと言われるほどに貧富の差は大きく、ヒエラルキーの闇は深いー。
こうした現状の背景としてやはり「教育」が大きな課題としてあります。
まず、「教育格差の問題」です。
離島の村には小学校までしかなく、家庭の経済事情で学校に通えないスラムの子の子どもたち、またストリートチルドレンの問題も深刻です。
こうした教育機会の不平等は、ダイレクトに雇用のチャンスの損失にもつながり、貧困の連鎖を生んでいます。
次に、「心の格差問題」です。
前述の教育格差の問題にもまして深刻な社会意識にひそむ、みえない教育問題ともいえるものです。
長い年月のあいだ列強他国の植民地とされてきたフィリピン。
当時の支配階級が統治しやすいよう、数百年をかけて言葉や文化、そこに宗教もからめて社会的な意識が形成されていきました。
それを象徴するもののひとつが、「クラブメンタリティー」です。
まるで漁かごに入れられた大量のカニたちが互いの足を引っ張って一匹たりともそこから出られないありさまのようだ、ということから出たことば。
貧困環境から抜け出ようとする人を同じコミュニティの人々がお互いに決して許さないという事象を表しています。
仲間意識や大家族主義を背景の中にこうした意識が織り込まれ、支配階級に不満が向かないよう、社会意識がデザインされていったのです。
実際に、夫も数々のいやがらせ、いじめ、噂や追い落としなどの行為を繰り返し受けてきました。
コミュニティの人々はそれらをお互いに「当たり前のこと、仕方のないこと」とし、変えていこうとする意識を持てずにいます。
こうした「植え付けられたメンタリティー」がゆえに、人々は共依存の深みに陥り、自己肯定感を持てず自立への希望も見失いがちです。
あきらめと絶望は、物質的な貧困以上にあらゆる意味で人々の可能性を奪っているのです。
その中を生き抜いてきた夫も、「物質的な格差そのものよりもむしろこの心の格差問題のほうが大きいかもしれない」と言います。
見えないぶん確実に社会意識の深層に浸透し人々をしばっている重い重い鎖です。
見えないから問題視されにくい、アプローチも難しい。
私たちの歩みはまさにそれを体感し目の当たりにしてきた10年でした。